なる楽生活

なるべく楽に、なるべく楽しく。日々の暮らしで思うことや、読書の記録など。

「ちびくろ・さんぼ」

自分がこどもの頃読んでいた本を、娘に読んでみる。

懐かしいなと思って手に取り、娘の反応を楽しんでいる。

改めて読むと、設定がかなり記憶と違ったり、当然ながら物語の印象も異なるのが面白い。

 

ちびくろ・さんぼ

ちびくろ・さんぼ

 

 

わたしの記憶にある「ちびくろ・さんぼ」の舞台はアフリカだった。 

しかし、アフリカにトラは生息していないことを今は知っている。

そしてわたしはてっきりさんぼくんは黒人だと思っていたが、バターについては「ばた(いんどでは、“ぎー”といいます)」」とあるので、どうやらインド人のようだ。

トラに関して言えば、インドにはベンガルトラが生息しているので、辻褄が合う。

どうしてアフリカが舞台だと思ったのだろう。挿絵の影響だろうか。

 

こどもの頃は、トラがぐるぐる走り回って溶けてバターになり、そのバターでホットケーキを焼いた、というくだりが魅力的で、なんて美味しそうなんだろう! とうっとりしたのだが、大人になった今は、うへぇ… トラが溶けてバターになったら、毛とか入って舌触りが悪そうだな、などとこどもの頃とは違う方向に想像力が働いてしまう。

 

さて、「ちびくろ・さんぼ」は、差別図書にあたるのか、という問題があるらしい。

差別図書か否か、を考える前に、まずは「差別」とは何か考える必要があるが、これがとても難しい。

わたしが娘に「差別って何?」と聞かれたら、どう説明するだろう。

 

男の人か女の人か(性別)とか、肌や目や髪の色(人種)とか、信じている神様(宗教)とか、大切にしている毎日のこと(文化)とか、お仕事(職業)とか、そういうグループの人全部を勝手にどんな人達かって決めつけて、その人たちを嫌な気持ちにすることだよ。

 

ダメだ。こんな説明じゃよくわからない。

自分で理解していないことは、他人に説明できないってことだな。

わたしとしては、いち個人を全く見ずに、特定の属性によって決められた特徴をその個人に当てはめる(そしてその個人に対して不利益となる扱いをする)のが差別かなと思う。先入観だけで人を判断すること。そしてそうされた人が不快に思うこと。

 

ちびくろ・さんぼ」を要約すると、「主人公がおしゃれして散歩にでかけたところ、トラに次々に持ち物を差し出して命乞いする羽目に。しかし、トラたちが喧嘩を始め、それをきっかけに主人公の持ち物を放置したので、男の子は無事持ち物を取り戻した。トラたちは喧嘩の末、バターになり、主人公の父親がそのバターを回収し帰宅。主人公の母親がそのバターでホットケーキを焼いて、家族3人で美味しく食べた」になるのだが、このどこに差別意識が含まれているのだろう。

ただただぶっ飛んだ、楽しいお話に思えるが…

 

いや、実際に差別されていると感じている人たちは、この物語のどこかで、これこそステレオタイプの押し付けだ、のんきに読んでいられるか! こどもの頃からの刷り込みが差別を助長するのだ、と切実に思うのかもしれないな。

"BLACK LIVES MATTER"と絡めて、物語とは違うところで考えてしまった絵本だった。

 

ちびくろ・さんぼ」も、「シナのごにんきょうだい」も、「赤毛のアン(原題には赤毛という表現はないが)」も、身体的特徴や差別用語とされる言葉がタイトルにあるものの、それぞれ素敵なお話だと思うし、作者にも訳者にも、差別を助長する意図はなかったのではないか。

これらの物語に限らず、仮に差別意識が含まれているものでも、それをこどもの目に触れないようにするのではなく、差別とは何か、なぜ差別すべきではないか、差別のもたらすものは何かなど、一緒に考えるきっかけとして物語を扱うのも良いのではないだろうか。世の中には色々な考えの人がいることや、昔と今の考え方の違いなどにも触れられる。

 

娘には色々な考えや世界観に触れてほしいので、読んで読んでとねだられる間はできるだけたくさん本を読み続けたい。それが娘の世界を拓くことに繋がると信じている。

 

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