なる楽生活

なるべく楽に、なるべく楽しく。日々の暮らしの雑記。

5時までの時間・5時からの時間

平成初期にオンエアされた栄養ドリンクのキャッチフレーズを今でも覚えている。

「5時から男」

そんな楽しげなサラリーマンは実在するのか。朝早く家を出て、わたしが眠ってから帰宅していた父だけが身近なサラリーマンだったので疑問だった。そんな父を見て育ったわたしは小学校の頃から働きたくなくて、大学3年になると、就職を先延ばしにして大学院に進学しようかとも考えていた。

 

結局、4年で大学を卒業し、年貢を納めることになった。

就職氷河期と言われていた中、運良く内定をもらえた企業の入社式で社長の話をぼんやりと聞き、これから40年も働くのだ… と暗い気持ちでいた。

 

お局様の気分次第でネチネチつべこべ言われるのが嫌だという理由で必死に業務をこなしているうちに、少しずつ仕事は面白くなってきた。しかし、業務量がどんどん増え、月の残業時間が80時間を超えるようになった。やっぱり5時から男なんていないんだと思った。

他の部署の照明がどんどん消されていく。誰もいない執務室に施錠する。繁華街や住宅のあかりを遠くに見ながら、疲れ切った自分の顔が車窓にうつるのが嫌だった。

そんな生活を何年か続けた結果、心身ともにすっかり疲れて、その企業を退職した。

 

転職した企業では、残業がほとんどなく休暇も取りやすい。なまぬるい風が吹くまだ明るい夕暮れどき、豆腐屋のラッパの音を聴きながら家に帰るのが嬉しかった。

そのうち結婚して、夫が単身赴任になり、妊娠して、産休・育休を経て、職場に戻った。

 

わたしの職場復帰に合わせ、娘は3ヶ月で保育園に入園した。連絡帳の記入、おむつや着替えの準備、夜間授乳、離乳食、夜泣き。寝不足で出社して、お昼前に保育園から呼び出しの電話。同僚に頭を下げて早退する。一体わたしは何をしに会社に来たんだろうと思った日もあるし、一体わたしは何のために働いているんだろうと思った日もある。

 

それでも、続けて良かった。娘が4歳半になったいまは生活がだいぶ変わり、わたしは5時から女になった。

5時からが慌ただしくも楽しい。

一日の仕事を終わらせて、保育園に向かう時間が好きだ。迎えに行くと、娘は他の園児たちともつれあうようにして駆け寄ってくる。「見て! すごい?」とその日作った作品を誇らしげに見せてくれる。朝と同じ道を、手を繋いで帰る。何歳まで手を繋いでくれるのかなぁと呟くと、娘は「ひゃくさいまで」と笑う。

 

帰宅して手を洗う。娘がYouTubeを見ている間に夕食のおかずを仕上げて、お風呂に入ってから夕食の時間だ。

娘は保育園で起きたことを話してくれる。おやつの時間にKくんがスプーンの袋をあけてくれたこと。俺がやってあげるよって言ってくれて、優しかった。フウセンカズラを植えたこと。フウセンカズラってどんなお花が咲くのかな? Sちゃんとポテト屋さんごっこをしたこと。段ボールでレジ作ってねぇ、明日も続きするの。

娘の言葉で紡がれるその日いちにち。親のわたしが聞けば可愛らしさで溢れた世界だが、きっと娘は保育園という社会で日々奮闘しているのだろう。年中になり「おねえさん」として、年下の園児の世話をしているらしい。

 

わたしもその日会社であったことを聞いてもらう。やっと面倒な案件が終わったこと。終わったら、嫌だったことを全部忘れて、頑張ってよかったって気持ちでいっぱいになったよ。失敗したこと。気をつけていたつもりなのに、信じられないミスをして落ち込んじゃった。取引先の男性とすみっコぐらしの話をしたこと。そのおじさんはしろくまが好きなんだって。

娘はどう思って聞いているのだろう。生きているといろんなことがあって、いろんな人と会うんだなくらいに伝わっていたら嬉しい。

 

娘を3ヶ月で保育園に入園させて、職場復帰したものの、親子で過ごす時間をもっと長くすべきだったのではとか、まだ小さな娘と離れてまで仕事を続ける意味とは一体… とか、ぐるぐる考え続けていた。頻度は少なくなったが、今でも仕事を減らして、もっと娘と過ごす時間を作った方がいいのではと思うことがある。何が最善かはわからない。ただ、仕事を言い訳にして家族との時間を楽しめなかったり、家族を言い訳にして仕事で手抜きするようになったら、今のように仕事は続けられないと思っている。

この先も娘と過ごす平日の5時からが楽しい時間であることと、できれば夫も東京勤務になることを願いつつ、わたしは明日も仕事に向かうだろう。

 

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by オリックスグループ