なる楽生活

なるべく楽に、なるべく楽しく。日々の暮らしの雑記。

「ウルド昆虫記 バッタを倒しにアフリカへ」

ひやみこいで読まねばごしゃぐじゃ!

と、前野さんは裏表紙で言っているが、とても面白く一気に読んでしまった。

ウルド昆虫記 バッタを倒しにアフリカへ

ウルド昆虫記 バッタを倒しにアフリカへ

 

 

この本は、新書版「バッタを倒しにアフリカへ」の児童書版で、文章が非常に明瞭で、カラー写真も豊富で、こどものみならず大人が読むことに何の違和感もない。バッタ研究そのものについての記述は少なく、前野さんがアフリカで続ける研究活動をベースに、研究者としての情熱と葛藤が丁寧に記されている。夢を追い続けるには情熱も才能もお金も必要なので、前野さんが不足している研究費確保のために頭を悩ませるご様子は胸が痛んだ。お金の心配をせず、好きなこと(大したことではない)をしてきた自分はなんてラッキーだったのかと。

 

全編面白いのだが、中でもわたしが好きだった部分をつらつら書く。

 

彼女を浜辺で追いかけるように、群生相を執拗に追いかけ回し、逃げ惑うバッタたちと戯れる。なんと贅沢なひとときだろうか。怯えるバッタも愛おしい。

(47ページ)

 

前野さんがバッタに向ける愛は、異性愛ではなく、親子愛に近い。わたしも似たような心境で、歩き始めた娘をカメラを持って追いかけていた。

同じ種類のバッタでも、孤独相と群生相とで模様や行動が異なるというのは初めて知った。人間も孤独相と群生相で全然性質が違うのだろうな。ファシズムの台頭を思い浮かべる。

 

唇はキスのためでなく、悔しさを噛みしめるためにあることを知った32歳の冬。

(264ページ)

 

この頃の前野さんはキスしたいなんていう煩悩を脱し、性愛に興味がないものと勝手に思っていた。でも、そういうわけではないんだな。優れた研究者だって、一人の人間で、あらゆる欲望や煩悩と闘いながら、それでも研究に打ち込んでいるんだよな。当然のことなのに忘れていた。

前野さんがものすごく好みの女性とサバクトビバッタを前にして、どちらに食べられたいか問われたら、どちらを選ぶのだろう。前野さんを試すような質問を想定して申し訳ない。そこは大いに葛藤しながらも、バッタに食べられるという長年の夢を叶えていただきたい。

 

それまではメモをとったら、すぐに次の質問に移っていた総長が、はっと顔を上げ、こちらを見つめてきた。

「過酷な環境で生活し、研究をするのは本当に困難なことだと思います。私は一人の人間として、あなたに感謝します。

(304ページ)

 

京都大学白眉プロジェクトの選考中のひとコマ。京大総長のこの言葉で前野さんは危うく泣きそうになったそうだ。研究者としての矜持。一人の人間としての孤独や不安との闘い。研究を続けるからには、成果を出さなくてはというプレッシャー。勝手に色々想像してみるも、日々のらりくらりと生きているわたしのような者が気軽に「泣くよねー」なんて思っちゃいけないなと、ただただお二人のやり取りに「いいものを見せていただいてありがとうございます」と感謝しかない。

 

「さぁ、むさぼり喰うがよい」

(348ページ)

 

満を持してサバクトビバッタの群生相の群れに身を投じた前野さん。音速の貴公子ティジャニさんもドン引きの出で立ちで登場も虚しく、幼い頃から抱き続けた夢は敗れた。思うようにいかないものだ。写真を見る限り、前野さんはめげていないようなので、今後も虎視眈々とチャンスを狙い続けることだろう。

 

最後に。

ずっとバッタはgrasshopperだと信じていたがそれはイナゴで、バッタはlocustと呼ぶらしい。バッタが飛び去った大地から緑が消え、焼野原となることに由来するそうだ。大量発生したバッタによる被害を「蝗害」(バッタは漢字で飛蝗と書く)と言うそうで、アフリカを中心とした国は悲鳴をあげているという。

秋田の広々とした大地を駆け抜けながらファーブルに憧れていた前野さんが、彼の夢を叶える日が来ることを願うばかりだ。