なる楽生活

なるべく楽に、なるべく楽しく。日々の暮らしで思うことや、読書の記録など。

思いやりとは想像力・ゴミ出しから考えた家事と育児の分担

またもドクダミ淑子さんの記事を読んで、ああ、こういう人いる! と思った。

「ゴミ捨てたよ」と言うと「あなたがしたのはゴミ捨ての一部にすぎない。真のゴミ捨てとは家中のゴミを集めることから始まり…(中略) …◯時までに集積所に持っていくことでしょ」と返すような人。

 

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何はともあれ、してくれたことに対しては「ありがとう」じゃないのかな。どうしてそんなにダメ出しするのだろう。わたしならゴミ袋が家からなくなっただけで嬉しい。ゴミ袋を出しそびれた日には、ゴミ袋の嵩以上にモヤモヤした気持ちが膨らむ気がする。24時間ゴミ出しOKのマンション暮らしが懐かしくもなる。

 

こどもの世話でも、例えば「こどもをお風呂に入れる」とは、こどもにお風呂に入ろうと声をかけてお風呂に連れていくところから始めて、お風呂上がりのこどもの肌の保湿をして髪を乾かしパジャマを着せるまでを、一人の大人が全部やるのだ、こどもと一緒に入浴しただけで「こどもをお風呂に入れた」などと言ってくれるな、という話も聞く。

 

厳しいなぁ。

 

我が家では両親がそろっている時は、親Aがお風呂に先に入り、もう一方の親Bが食事の支度をしながら娘に「お風呂入っておいで」と声をかける。一緒にお風呂に行きたいと言えば、親Bが娘の手を取って連れて行く。

娘が先にお風呂から上がるので、親Bが食事の支度の手を止めて、肌の保湿をしてやる。そのうちに親Aが身支度を終えて部屋に来るので、そこでバトンタッチして親Bは食事の支度に戻る。

自然にそうしていて、お互い何も不満はない。

 

家事や育児の分担を公平にすることばかりに気を取られず、家族で過ごす時間を楽しむことに重きを置いたほうがいい人生だと思う。多分、それらを完全に公平に分担するのは無理だ。ある作業に要する時間や、どれだけ心理的に負担かは人によって違うから。

 

また、「真の◯◯」ができていない、と言いたくなる時には、自分がやっていると思う家事を思い出してみよう。

わたしは料理をしている、と思っている場合。

「ご飯できたよー」と声をかけて、相手から「いやいや、あなたの言ってる料理って真の料理じゃないからね? 箸が立つほど鰹節をたっぷり使って出汁ひいた? 茅乃舎だし使ってるでしょ。よくそれで『料理した』とか言えるね」などと言われたら、ひどく気分が悪くならないだろうか。

疲れていたらパックご飯を温めてフリーズドライ味噌汁に納豆で充分だし、パンにハムとチーズ、それにカップスープでも良いし、買ってきたお惣菜を並べたり、UberEATSでオーダーするのも楽しい。家庭では「真の料理」など必要ない。食卓を囲む人がいるって、とても幸せなことだ。

 

思いやりとは想像力だと思う。

どこまでのリアリティを持って相手の立場を想像し、相手に寄り添って行動できるか。

忙しいのにこれをしてくれたんだ、忙しくて忘れてしまったんだ、今まで気がつかなかったけどこういう作業があったんだ、これまでしなかったのに今日はやってくれたんだ。

わたしはそういう感謝や思いやりの積み重ねで家族と日々を過ごしたい。

 

なお、我が家の出汁はほぼ100%茅乃舎のだしだ。あごだし、野菜だし、鰹だしは、なくならないように常にストックに気を配っている。

手早く汁物を作りたい時は、野菜を火が通りやすいように刻み、それと水に野菜だしの袋を破って入れて鍋を火にかけ、沸騰したら溶き卵を入れるだけでおいしいスープが出来る。

記事中の茅乃舎だしへの言及は、茅乃舎だしを否定するものではなく、むしろ絶対的に信頼し絶賛していることを最後に付け加えたい。

 

駐在員へのお土産にしても喜ばれる