なる楽生活

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予期せぬ妊娠と緊急避妊薬の特集を見て、愛情表現について考えた

先日、NHKおはよう日本を見ていたら、予期せぬ妊娠と緊急避妊薬の特集が組まれていた。

緊急に必要な薬なのだから、入手しやすいほうが良いとは思う。悪用されるおそれがある、とか言ってないで、薬の有効性や副作用に関してももっと広く知らしめて色々な立場の人の意見を聞いて、もっと多くの人で議論したら良いのに。そこでどんなふうに悪用されるおそれがあるかを話したらいい。

 

低容量ピルは「女性の性が乱れる」という意見があって何年も認可されなかったそうだ。1999年に低容量ピルが認可された結果、実際に女性の性が乱れたのだろうか。だいたい、性が乱れるって何だろう? ピルを服用する目的は避妊に限らないし、ピルを飲んだくらいで乱れる女性なんていないだろう。そんなこと言う人の頭の回路の乱れのほうが心配だ。妄想を捨てて現実を見てほしい。

 

この特集を見てわたしが引っかかったのは、冒頭の女性の話だった。

その女性が言うことには、コロナ禍で外出もままならず、付き合っている男性と一緒に過ごす時間が増えた。セックスする時に「避妊してほしい」と男性に言うと「俺のこと愛してないの?(=避妊したくない)」と言われたので、それ以上避妊してほしいと言えなくて、避妊せずにセックスして後悔しているというような話だった。その男性は、避妊しないことイコール愛のしるしだとでも言うのだろうか。

 

これを聞いて、その男性の愛情をわたしは疑った。

相手に「自分への愛情を行動で示せ」と迫る人は、その相手への愛情よりも支配欲が、少なくともその瞬間においては強いのではないか。「わたしを好きだったらわたしの要求を飲め」と言うのはただ相手を支配したくて言う言葉に感じる。

 

ふと思い出したのが、保育園で会う保護者で、何度か「ママのことが好きなら、ママの言うことを聞いて」とこどもに言っていた人だ。逆(ママはあなたのことが好きだから、あなたのいうことを聞くよ)ならともかく、いくら困っているからといって、これはこどもに向ける言葉なのかなぁと疑問だった。

 

小さいこどもなので、親の都合などお構いなしに気ままに過ごすこともあるだろう。しかも、その親の言うことを意に介さない程度はこどもによってだいぶ違う。それで親が困ることがあるのは、わたしも経験があるのでとてもよくわかる。どうしても受付時間内にクリニックに行かなくては、どうしても早く家に帰らなくては、など親には色々な事情がある。でもその事情と、愛情を混ぜこぜにするのはなんだか違和感があるなと思っていたのだった。

その保護者のこどもに対する愛情は疑う余地もないが、垣間見えた親の子に対する支配欲のようなものに怖さを感じたのかもしれない。

 

話が逸れたが、愛情の表現なんて人それぞれだ。そしてそれを受け入れるのも自由だ。

例えば、ある人は愛する人の腕だか服に自分のハナクソをつけることが愛情表現らしい。

それを受け入れる人もいるだろうし、不潔だからやめてと言う人もいるだろうし、同じようにハナクソを腕につけてお返しする人もいるだろうし、愛情が一瞬で冷める人もいるだろう。

そこでこの人が俺はお前が好きだからハナクソつけたんだ、受け入れろ! と言ったら、それは愛情表現ではなくただの暴力になってしまう。愛情表現が受け入れられないのと、愛情を受け入れられないのを混同してはいけない。

 

冒頭の女性の話に戻ると、自分たちの将来のために避妊するという愛情表現だってある。この男女には避妊しないセックスを拒否するのと、愛情がないことを混同してほしくない。相手を愛していればこそ、望まない妊娠を避けようとするのは普通の感覚だと思う。避妊しなくて良いとお互いが合意した時にそうすればいい。違和感を抱いたまま、人生を左右するようなリスクを取ってはいけない。不安なままのセックスなんかに愛のしるしを求めても、儚く散るだけのような気がする。すべてのこどもが、両親の合意のもとに宿ったわけではないことは、悲しいけど事実だ。

 

愛のしるし

愛のしるし

 

一緒にテレビを見ていた娘には、他の人にお願いされたり命令されても、嫌なことは無理にしなくて良いんだよと言った。

娘はこれ幸いと「じゃあ、今度からコーン残していい? コーン苦手なんだ」とにこやかに訊く。

そういうことじゃなかったんだ。わたしの言い方が良くなかった。

でも、コーンが苦手なら今は無理に食べなくてもいいよ。いつか、コーン食べてみようかなって思う日が来るかもしれないしね。