なる楽生活

なるべく楽に、なるべく楽しく。日々の暮らしの雑記。

「下北沢について」 親子の時間のこと

わたしと同世代の、とくに女性には、思春期によしもとばななさんの作品を読んで、自分より少し年上の主人公たちの生き方に憧れを抱いたという人が多いのではないだろうか。わたしの周りの女の子たちも「キッチン」とか「TSUGUMI」とか、繰り返し読んで、よしもとさんのむつかしくない日本語で描写された、普通の生活の中で異様に美しく輝く瞬間や、主人公のすこし風変わりな友人や同居人との関わりに、どうしようもなく心惹かれていたと思う。

 

高校生くらいまでは新刊を追いかけていたのだが、大学生になる頃、「むつかしい」とわざわざ書くのはどうしてなんだろう、「異様に」って使いすぎじゃないだろうか、わざとだと思うけどどうしてこんな下品な言葉を混ぜてくるのだろう、とか、気になってしまってあまり読まなくなってしまった。

 

目に留まったこの本、表紙がきれいだったので手に取り、よしもとさんの本を久しぶりに読んだ。


ああ、この文だ… と思った(「異様に」もまだ使われていた)。

よしもとさんが下北沢に引っ越す前と、引っ越してからのエッセイで、ものすごくすらすら読めた。

 

わたしは下北沢がどんな街かよく知らない。個人商店が多くて、濃やかなお付き合いが苦にならない人なら楽しく暮らせる街なのだろう、ということは読み取れた。

 

それとは別に、よしもとさんが坊ちゃんと過ごした時間について書いた、この文章がとても好きだ。

 

とことん相手に合わせてみたり、ゆずってみたり、無為な時間と思われる時間を過ごしてみることでしか、思い出の塊はできないように思う。

今、あの日々を思い出すとあまりにも濃くて美しい塊になっているから、びっくりする。

私が私の好きなことだけをどんなにがんばって追いかけても、多分こんな塊にはならないだろうと思う。

(中略)

でも、毎日の中でちょっとだけ、全部手を開いて、はいはいどうぞ、と言って相手にゆずってあげることはきっとこれからもできるだろうと思う。おりをみて、家族に友達に、少しでもそんなふうにしたいと思う。

お金や肉体はそうそう与えられなくっても、時間とか気持ちはそんなふうに気軽にゆずれるといいなと思う。

そうしたら時間は一見減りそうでもどんどん増えていくように思うし、自分は一見すり減りそうでもどんどん豊かになっていく、そんな不思議にまた出会える気がするからだ。

 

 本当にそうだなと思う。

何べんも繰り返し読む絵本とかアニメ、少し面倒くさいと思ってしまう娘からの小さなリクエスト(ねえママ、にんじんをくまさんのかたちに切って、とか)、要領を得ない娘の話を根気強く聞くこと。

娘はすっかり忘れてしまっても、わたしの記憶の中ではきらきら輝いて、この先娘との距離ができてしまっても、ずっとわたしを支えてくれるのだろう。