なる楽生活

なるべく楽に、なるべく楽しく。日々の暮らしの雑記。

いつの間にか「夫の機嫌を損なわないように」生きていた

かなりの割合で「夫の機嫌を損なわないように」という基準で行動し、さらに娘の行動までも抑制している自分に気が付き、自分を殴りたくなった。

 

夫は不機嫌になると怒鳴る。それがわたしにはストレスで、娘が怒鳴られるのを聴くのが本当に嫌だった。娘を罵倒してほしくなかった。それから、単純に男の人の怒鳴り声を聞くのが嫌だった。

 

夫は普段は物静かで落ち着いているほうなのに、娘のするちょっとしたこと(自転車の練習をしていて夫と喧嘩になりふてくされるとか)でイライラして怒鳴る。娘は泣き、わたしは娘を庇ってますます夫は不機嫌になる。

 

娘が夫に怒鳴られないためにはどうすれば良いか? 夫を不機嫌にさせなければ良い。そう思って、なるべく夫の機嫌を損ねないようにしていた。テーブルに消しゴムのかすを残さないようにする。粘土で遊ぶと粘土のかすが散らかるので夫がいる時は粘土で遊ばせない。

それが普通になって、娘の行動を抑制したり、わたしが娘を怒っていることに気づき、これは相当不健全なのではないかと一人でぐるぐる考えた。

 

考えるきっかけになった出来事は土曜日に起きた。

天気も良く暖かかったので、わたしと娘は公園に遊びに行くことにした。

「帰りにスーパーで買い物するけど、夫くんも合流する? するなら家を出るときに連絡ちょうだい」と言うと、夫は「そっちが公園出るときに連絡して」と答えた。

 

目的の公園に行くと、期せずして同じクラスの女の子が3人と、きょうだいが1人、子どもが4人集まって遊ぶことになった。子どもたちは公園をはしごし、ケンカをしながらも何時間も飽きずに遊んでいた。

 

4時半、夫から「風呂入る」「とりあえず今日は買い物無しね」と連絡があった。短いLINEからでも夫の機嫌が悪いことが分かったが、この日買い物に行かなくても、食事に困ることはないのだし、もう少し遊ばせたら帰ろうと思っていた。楽しそうな娘を見るのは嬉しかったし、大人同士でお喋りするのも楽しかった。

 

5時を過ぎたのでそろそろ帰りましょうか、と言い合ったものの、子どもたちはいつまでも遊び続ける。

わたしは「お父さんが怒るから早く帰ろうよ」と何度も言った。

お父さんが待っているから、ではなく、お父さんが怒るから、と。

 

帰宅したのは5時半ころだった。

娘は玄関でスニーカーを脱ぎ、その場でそれをひっくり返して砂を三和土にまき散らした。それを見たわたしは「やめて、お父さんにまた怒られるよ」と、大きい声を出してしまった。

玄関が汚れるよ、ではなく、お父さんに怒られるから、と。

 

娘を脱衣所に直行させ、自分の荷物を置きにリビングに行くと、面白くない、という雰囲気をまとった夫がいた。

「どこまで行ってたの」

質問ではなく、文句だった。

それからひとしきり文句を言われているうちに、今まで目を逸らしてきたことに気付いた。

わたしは夫の機嫌を損なわないように生きている。そして娘にもそれを強要していないか?

 

「夫くんの思い通りにならなかったらわたしたちに怒るの? 一体なんなの? 最近、『夫くんが不機嫌になるから』って理由で、娘ちゃんの行動を制限したり、叱ったりしてるのが、本当に嫌だ、こんなの絶対におかしい」と言い捨てて娘のいる脱衣所に向かった。

 

娘に「ごめんね、お父さんに大きい声を出されたくないからって、早く帰ろうって何回も言って、そんなの変だよね。さっきの(スニーカーの)お砂のことだって、娘ちゃん、嫌だったよね」と謝ると、娘は「いいんだよ」と笑って、わたしの頭を撫でた。

 

「でも、今度から思い通りにならなくてお父さんが怒っても無視する。勝手に怒ってろって思う。お父さんの機嫌のことなんか気にしない」と宣言して、娘とお風呂に入った。

 

いつからかわたしは夫の機嫌を損なわないように注意を払って生きていたのかと気付き、そんな自分が気持ち悪かったし、なんて不健全な夫婦関係なんだろうとぞっとした。こんな家庭環境、娘に悪影響しかないだろう。

 

勿論、夫は毎日怒鳴っているわけではないし、わたしも毎日夫の顔色を窺っているわけではない。それでも、わたしの日常の選択が「これをしたら(しなかったら)夫の機嫌を損ねるか」を基準に決定されているのだとしたら、おぞましい。わたしはバカだし、親として最低だ。いつからこんなふうだったんだろう。娘にどんな悪影響を与えてきたのだろう。

 

もっとちゃんとしなくては。

大声なんかでわたしは動かない、と肝に銘じて生きる。

大声を出せば人が自分の思い通りに動くなんて、こんなに楽な方法がわたしたちに有効だと思わせたら駄目だ。

 

ご縁あって結婚した相手だから、できれば仲良く平和に暮らしたいと今でも思っているのだけど、こんな嘘っぱちの平和じゃだめだ。平和なように見えて、実際は全然平和じゃなかった。仲良くもない。

 

気づけて良かった。手遅れではないと信じて、考えて行動する。